会津の奥座敷・東山温泉は今から約千三百年前、名僧・行基によって発見されたと言われ、奥羽三楽郷に数えられる歴史ある温泉郷です。
人口十二万人の会津若松市の中心地から車でわずか10分程度の便利な場所にこれだけの規模と歴史、豊かな美しい自然を誇る温泉地は他に類を見ません。
竹久夢二や与謝野晶子などの墨客にもこよなく愛された湯の街でもあります。 |
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| 泉質 |
硫酸塩泉(カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・塩化物温泉) |
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| 効能 |
リウマチ性疾患・運動器障害・慢性皮膚疾患・創傷・虚弱児童・慢性婦人科疾患・更年期障害・動脈硬化症・高血圧症・痛風及び高尿酸血症 |
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| 温度 |
50℃〜60℃ |
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| 湯量 |
毎分
約1,500リットル |
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◆戦国武将
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| ■豊臣秀吉−戦国時代の末に全国を統一した武将。 |
■伊達政宗−葦名義広をほろぼし会津一帯を手に入れた。 |
| ■蒲生氏郷−1590年奥州の目付役として会津黒川に移封、黒川を若松と改称して城下町を建設。 |
■上杉景勝−安土桃山時代の武将。 |
| ■加藤嘉明−安土桃山時代の武将・秀吉七本槍の一人。 |
■保科正之−会津藩主松平家の祖・徳川秀忠の第4子。 |
◆儒者・志士
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| ■山崎闇斎−江戸時代の儒者・神道家。 |
■山鹿素行−江戸時代の儒者・兵学者。 |
| ■吉田松陰−幕末の志士・長州藩士。 |
■土方歳三−幕末の志士・新撰組。 |
◆政治家
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| ■伊藤博文−初代総理大臣。 |
■榎本武揚−函館戦争の首謀者・明治の政治家。 |
| ■犬養毅−政友会内閣の総裁。 |
■加藤高明−明治大正時代の外交官・政治家。 |
◆芸術家・学者
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| ■横山大観−近代日本画壇の代表的匠。 |
■与謝野晶子−歌人・近代文学史女流作家。 |
| ■竹久夢二−画家・歌人。 |
■野口英世−日本の細菌学者。 |
◆皇族
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| ■秩父宮妃殿下−九代会津藩主松平容保公の孫。 |
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| ●尼渕(千穂姫) |
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| 葦名家の重臣大町左京盛胤にとてもうつくしい一人娘「千穂姫」がいた。 千穂姫には領主の直盛公の小姓で簗田衛門という許婚がいたが、領主直盛公が千穂姫の評判を聞いて父盛胤に千穂姫との結婚を責まった。 千穂姫はその結婚を拒みつづけた。 しかし、父盛胤が留守中に領主直盛公直々の召出し状がもたらされ、千穂姫は途方にくれ死を決心する。 羽黒川(湯川)の渕にたどりつくと身を清め、湯上羽黒山三社権現の奥の院に二十一日間祈願し、満願の日、夢枕に「無常の恋を諦めて、仏門に入るように…。」とお告げがあったが、衛門との恋を諦められず渕へ身を投げた。 |
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| すると、軍茶利、妙見、観音の三尊が現われ、姫を救い上げた。 それを見ていた別当東光寺の行智上人は千穂姫に仏門に入ることを勧め、上人の弟子となり「智尚尼」と改めて仏門に入った。
その後千穂姫が身を投げた渕を「尼渕」と呼ぶようになった。 |
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| ●伏見ヶ滝(藤身ヶ滝悲恋) |
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| 昔、城下町に近い柳原に藤という娘がいた。 その娘には想いを寄せる男がいて、滝向こうの不動尊へ祈ってその恋が叶うようにと願かけ参りをし、その満願の日の夜、背に火焔を負った不動明王が突如現わ れ、「東山の入口にある松の三又の古木がる。その枝に石を投げて縁の有無を試しなさい。石が松の枝に留まれば願いが叶えられ落ちたらあきらめなさい。」と いって消えた。 娘はその松の木の下に来て一心を込めて石を投げてみたが、石は枝に留まらなかった。 無念に思い、狂気の如く石を投げても、石は留まらず娘は悲嘆のあまり渕に身を投げてしまった。 よって藤身ヶ滝と呼ばれるようになった。 |
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| 現在では、伏見ヶ滝と変わり、その松を石上松と呼んでいた。 今では、その松は大雪の年に雪倒れしてしまった現在ではもうなくなってしまった。 |
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